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side_tanaさんの思い出

カラーボールソーダたちの思い出

カバヤ食品の製品にジューCっていうラムネがある.だいたい有名なのは筒状のケースにタブレット状に整形された固めのラムネが15粒ほど入っているやつだと思う.

「カラーボールソーダたち」っていうのはジューCブランドの商品の一つなんだけどかなり雰囲気が違って,すごい口のどけのいいラムネが糖衣で固められてる.ポリっと噛むとラムネの甘くてさわやかなのが口の中に広がるんだけど,くどくないのでコーヒーとの相性がとっても良い.しかもラムネなので砂糖だから,頭使ってるときめっちゃ助かる.

とにかく最高で,身近なところでは大学生協のコンビニで買えたから重宝していたのだけれど,先週買いに行ったら陳列棚からスペースが消えていた.

めちゃくちゃ悲しくて,普段だったら絶対しないんだけど,レジのおばさんに取り扱うのやめたんですかって聞いてみた.そしたら「ちょっと発注担当者に確認してみますね〜」って言われた.そりゃ知らないよね〜とか思いながら,これないとぼく卒業できないのでお願いします〜って言っておいた.「今日そのラムネのこと聞かれるの3人目なんですよね〜」って言われて,これは全学的危機だし,何者かによるテロである可能性もあるとして,当局は近く捜査本部を立ち上げるとしています.

中学まで住んでいたマンションの思い出

およそ10年ぶりに,幼稚園から中学の頃まで住んでいたマンションに向かった.いつも遊んでいた公園からまっすぐ伸びる坂道を,遊び疲れた体で自転車を押して帰ったあの坂道を,門限に間に合うよう必死で走ったあの坂道を,母に借りた自動車で登る.

このマンションにきたのは,小学校の同級生から中古のカメラを譲って貰うためだった.坂を登り切ったところでウィンカーを出し,敷地の中に入る.駐車場の通路は,記憶よりずっと狭くて,少しだけ運転しにくかった.

奥まで進み,建物の玄関ホール前に車を止める.幼なじみについたよとLINEでメッセージを送り,エンジンを切って玄関ホールに入った.小学校の帰り道,必死で引き開けていた重いガラス扉は,いつの間にか自動ドアに変わっていた.あのころ走り回って遊んでいたホールだったけど,いまではすみに立っているだけで住民の邪魔になりそうで,なんだか知らない場所に来たように思い,少しだけ切なくなった.

そんなとき,「締め切り」と書かれた方のドアの足下に,開き戸だったころの名残を見つけ,少しだけ嬉しくなったのだった.

フィンガーチョコレートの思い出

すごく軽いプレッツェルをチョコレートでコーティングした奴.大きさは手の人差し指より一回り小さいぐらい.いっこいっこいろんな色の銀紙でくるまれてて,きれい.

子どもの時住んでたマンションでは10月の終わりにマンション全体でハロウィンをやってた.家の前にちっさいジャックオランタンがおいてある家はイベントに参加してる家で,それを目印にマンションのなかを回る.このチョコは3号棟の3階か4階の一番端っこの家の人がいつも用意してくれてた.銀紙が綺麗で,チョコレートの味とかさくさくした感じが好きだったから毎年すごい楽しみにしてた.

住んでたマンション,子供会みたいなの無くて,イベント毎にやりたい人が企画して善意で回してた.そう言う感じだから,ある年だけやって,そのあとは無くなるイベント結構あった.ハロウィンのイベントも数年は続いたんだけど,そのあと廃れてしまった.子どもの時はそういうの全然わかんなかったから,いつのまにかハロウィン終わって寂しいみたいな感じだった.そう言う感じで,このお菓子のこともわからないまま終わってしまった.

ふとしたきっかけで思い出して調べてみたらフィンガーチョコレートって名前だってわかった.

Acer AS1410の思い出

大学に入ってから買った二台目のラップトップが Acer の AS1410 だった.当時はネットブックの流行が収まって,代わりにCULVっていうちょっとマシなネットブックが流行始めた頃で,このラップトップもCULVって呼ばれるジャンルのパソコンだった.

前のネットブックでは,最終的に仮想環境にいれたUbuntuしか使わないような状況だった.このラップトップではBIOSのアップデートだけしてからハードディスクをフォーマットして,Ubuntuをインストールした.9.10とかだったと思う.

このシリーズのラップトップには,設計上の問題なのか,キーボードが浮いているという問題があった.僕の手元にあった端末も例外では無くて,キーボードはふにゃふにゃで,escキーの当たりは本当に浮いていた.押し込むとパカパカいう感じ.この点は購入前から調べて知っていたから,納得していたのだけれど,長時間使っているときなど最後まで気になっていた.

大学の2年の時,シアトルに一ヶ月間の短期留学にいったのだけれど,そのとき持っていったのはこのパソコンだった.留学先での課題や,現地での予定を立てるのも,全部このパソコンでやった.

軽くて安くてバッテリーも持ちも良い,なかなか優秀なやつだったと思う.キーボード以外は.

2年半ぐらいは使うつもりだったのだけれど,画面の狭さに限界を感じて,1年とちょっと使った頃にMacBook Airの13インチを買ってしまった.

しばらく下宿で眠っていたけれど,2年前の冬に,東京で一人暮らしをしている姉のパソコンが壊れたというので,HDDをSSDに換装し,Windowsをインストールしてそちらに送った.

今年,妹が東京の大学に進学することになり,春から姉妹で二人暮らしをしている.二人ともスマートフォンを持つようになって,調べごとなんかでは使ってないみたいだけど,最近は妹が大学のレポートなんかで使っているらしい(たまにWordの使い方を聞かれたりする).

東京に行った時に部屋に遊びに行った時は,リビングのソファ脇にあるテーブルで充電されていた.

N10Jcの思い出

初めて自分で買ったノートパソコンがASUSのN10Jcだった.面白いのはオンボードのものとGeForce9300Mと,ふたつのGPUが載っていて,切り替えて使える.

2009年,情報系の大学に進学することになった僕はデスクトップパソコンとノートパソコンを用意することにした.

当時はネットブックが流行っていた頃で,ぼくもデスクトップはしっかりしたものを用意する代わりに,持ち出すの用途にはネットブックを買おうと思って探していた.二台あると片方が死んでもなんとかなるし,僕の入る学部では講義中のノートパソコンの利用が許可されていた(今では当たり前かも知れない).

大学の1年なんて,ほとんどが教養と入門の講義だから,必然的に触れている時間がノートブック>デスクトップとなり,自然とこのパソコンの環境の方が充実していき,最終的にデスクトップはゲームするときぐらいしか使わず,課題やプログラムの勉強にはずっとこのパソコンを使っていた.

RubyでTwitterのbotを書いたり,MeCabで遊び始めた頃から文字コードの問題でつまり始めて,結局ちゃんと解決することはできず,AndLinuxっていう仮想環境みたいなのを使い始めた.準仮想化みたいな感じなので,vmwareとかと比べたら軽いとは思うけど,実際のところAtomのネットブックにはきつかった.

結局10ヶ月ぐらい使ったところで,AcerのAS1410っていうCULV(この言葉ももう廃れた)に乗り換えたけど,僕が初めてC言語で書いたプログラムをコンパイルしたのはこのパソコンだった.シャンパンゴールドの輝くボディはネットブックだけど高級感があって,すごく気に入ってた.

新しいノートパソコンを買ったあとも,Windowsのパソコンを持ち出す必要があるときはこれを持ち出してた.捨てることも出来ず,ちょうど使う宛てがあったので所属してたサークルに譲渡という形で押しつけた.しばらくは使われていたようだけれど,いまはどうなったかわからない.

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