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マスターキートン4巻の思い出

私、誰かに対して「怒る」ということがなかなかできないのだけど、そうなった原因というとたぶんマスターキートン4巻1話「喜びの壁」を読んでからかなーと思った。

あらすじはグーグル先生に譲るとして、作中、ふとったおっさんがこどもに言う台詞がある。



コドモ「あいつ親友だと思ってたのに!結局は他人だったんだ!」(うろおぼえ)
おっさん「そいつぁ真理だ。それがわかってれば友達が何やったって許せるだろ?」(うろおぼえ)



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ノウミソがっつり殴られた気がした。マジかよ。なにいってやがる。まったく。どうにかなりそうだった。コーヒーがぶのみした。ダメだった。おちつかなかった。ジャンプ再読した。やっぱりおちつかない。実際そのときの私はどうかしてて、財布にぎりしめて部屋を飛び出し大きな本屋に走った。コンピュータ書籍売り場。アレだ。手に取る。K&R。購入。128版だった。


パソコンもってなかった。


それ以来だろう。何かに対して怒ることができなくなった。怒るってなんだ。よくわからなくなった。犬のウンコふんでも、足踏まれても、カラスのフンかかっても怒ることがなくなった。モンスター親子の無茶にまきこまれても、私だけデザート来なくても、牛のウンコふんでも怒らなくなった。理不尽なお客様の理不尽な要求に理不尽なスケジュールで対応しても怒るとかどうでもよくなった。


でも、昨日この記事Quyoに投稿しようとしたらサービス落ちてて上げられなかった。怒るでしかし!

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