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PC-6001の思い出

親の実家に住んでいたおじさんが持っていた。

わたしの実家は、ファミコン禁止だったので、身近にあったゲームができる電子機器というのは、おじさんのPC-6001か、従兄弟の家にあったファミコンだった。
従兄弟は年が離れていて反抗期を迎えていた時期だったので、親戚の誰もあまり話をしなかった。自分からは声もかけられなかった。
自然と、おじさんのPC-6001を触るようになった。
触ると言っても、ゲームを遊ばせてもらうだけだ。

そのころ幼稚園か小学1年生ぐらいで、難しいゲームは分からないし、自分でカセットテープからのロードもできなかったので、タイトル画面が出るところまでおじさんにやってもらってた。
遊んだゲームは、アスキーの「クエスト」というワイヤーフレームで描かれた迷路ゲームだった。
当時、人が歩いてクリアする迷路が流行っていて、各地に巨大迷路アトラクションが作られていたと思う。子供会のイベントで行ったりした。
巨大迷路が大好きだったので、それがコンピュータでできるなんてすごい!と思った。
親の実家へ帰省するたびに、遊ばせてもらっていた。

小学2年の時に、なぜかそのパソコンが我が家へ来た。
欲しいとせがんだ記憶は無いのだけど、欲しがったのかもしれない。
ファミコンを買ってもらえないことに諦めていた子ども時代だったので、そんなゲームのできる機械を欲しがってももらえるわけがないし、値段が高いと思っていたので、欲しがっていないはずなのだけど、なぜか我が家に来た。

ゲームも何本か付いていたのだけど、あまりゲームはしなかった。
BASICの説明書も付いていたので、それでBASICを覚えたりした。
キートップは大文字なのに、本のコードは小文字だったりして、小学生にアルファベットは難しくbとdの違いも分からないまま、ボタンを端から一つずつ押していって、本と同じ文字が出たらオッケーというような入力方法だった。
そのうちなんとか覚えるようになり、ベーマガも買うようになった。
ファミコンではできないようなゲームが遊べるので、たいそう気に入った。

宿題をしなくなった。
毎日のように宿題をしていかないダメ小学生になり、宿題をしていないのにしたと親に嘘をついて、怒られて、を繰り返した。
何度かパソコン禁止令も出たが、そのうち使っていた。

やがて6年生になり、PC-8801MA2を買ってもらって、電源が入ることはなくなった。
父親の電子工作の部品として分解されてしまった。

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